昭和26年 岡山県立農業試験場 臨時報告

2015年05月01日 12:00

以下は、備前黒皮南瓜が最も栽培されていた昭和26年「岡山県立農業試験場 臨時報告」の内容抜粋。

当時、備前黒皮にはいくつもの系統があった模様。京阪神などへの出荷品質が統一化されておらず、採種場の有効利用や農家への指導・連携が急務であったことが、生々しく記載されている。

----------------------------------------------

<経営の概略>明治初年までは平凡な農業経営地帯であった当地帯も、広島県沼隈郡田尻地方から南瓜種子が移入されてから次第に南瓜の生産が高ま り、明治36年に馬鈴薯の秋作が始まり戦前までは、(夏作)南瓜、(夏秋作)馬鈴薯という方針で経営が行われ、戦後更に結球白菜の早春出荷が始ま り現在牛窓町を中心とする八か町村において南瓜400町歩、白菜150町歩の栽培まで発展した。(備前黒皮 耕作戸数3,000戸、一戸平均耕作面積1.3反、一戸最大耕作面積7.0反)

<品種>当初は田尻南瓜といわれ、顆形は縮の少ないイボの大きい青黒色の果皮で、顆は低く肩の貼らない十二の縦溝があり顆重は平均600匁であっ た。これが各地方から導入されたところの多品種と交雑して備前黒皮が作出された。

<収穫>第一番顆は交配後30日、第二番顆は20日で収穫される。収穫は普通6月20日頃に始まり8月中旬に終わるが反当収量は350貫程度である。

<出荷>昭和24年においては5月~7月に7万貫余を主として京阪神・北九州に、8月には6万貫を県内各地に出荷した。

<現状を基盤にして将来こうあってほしいと思う事>

1.採種について・・・自家採種が一般であったが昭和24年より出荷組合で採種圃を経営している。しかし採種目標の横の連絡が十分でなく採種そのものが孤立化している。県南部地域を対象とした一環した採種目標の樹立と並行して品種改良事業(特に系統分離)の進展に期待する。

2.病害虫の防除・・・瓜守(ウリハムシ)、露筋病に対する防除が十分でない。薬剤散布の効果を再認識して適期励行につとめより一層の増収を計るよう努力しなければならない。

3.選別、荷造の改善・・・自家採種を続けた故に他品種と交雑し生産品は顆形、大きさ、色などの外部形質においても極めて雑駁である。この点は採取事業ならびに方法の確立によって防止し得るが当分の間は選別に特に注意を払う必要がある。荷造の点についても改善を要する点が多い。

<写真の解説>

1.備前黒皮5号。戦時中増産の面で関西市場で有名な備前黒皮の一系統で、角谷技師の努力によってその原種が保存された。

2.備前黒皮南瓜の代表的なもの。将来1顆500匁程度のものでないと関西市場の嗜好には最適でないと言われている。

3.邑久郡鹿忍産の備前黒皮南瓜。

4.宮崎県産日向南瓜。顆形など参考となる点が多いと思われる。

5.関西市場に現れた邑久牛窓産黒皮南瓜群。顆形の大少、縮緬の不統一など、今後品種改良の目標となる。