「日本カボチャ備前黒皮を復活させる会」は、2014年10月に発足した任意団体です。

 

沿革

【明治10年】販売目的としてのカボチャ栽培が岡山県牛窓地域で始まる

【明治20年頃】当地域より県外への出荷開始  

【明治?頃】広島県福山市田尻地方の「田尻ちりめん南瓜」が牛窓地域に導入される

【昭和初期】田尻南瓜に各地から導入された黒皮系南瓜が交雑し「備前黒皮南瓜」が誕生

【昭和8~17年】大手種苗会社のカタログに「備前なんきん/いま全国で最も栽培されている品種」と掲載

【戦時中】岡山県内の配給野菜は、牛窓を中心とする東備青果物出荷組合が一手に引き受けて供給したとされ、そのメインは備前黒皮南瓜と馬鈴薯であった

【昭和25年】最盛期。牛窓地域にて300haの面積で3,000戸が栽培、年間約600tを主に京阪神へ出荷

【1987年】1985年開始の『特産作物遺伝資源保存・管理事業(ジーンバンク事業)』により、岡山県農業試験場が牛窓町師楽・山本晴夫さんよりタネを譲り受け保存

【1995年】牛窓地域において1農家で20aが栽培されるのみとなる

【2000年頃】商業用の生産者がいなくなる(以降家庭用のみとして種子が保存される) 

【2007年】福井県の種苗会社が長年扱っていた「備前黒皮縮緬南瓜」のタネ販売が終了

 

【2014年9月】牛窓町師楽の農家・山本晴夫さんより原種系統の種子を譲り受ける

【2014年10月】発起人7名により当会発足。シーンバンクに保存されているタネの譲与申請

【2014年11月】岡山県農林水産総合センター農業研究所を通じてジーンバンク種子の譲与認定を受ける

【2015年3月】備前黒皮カボチャの種子10粒がジーンバンクより譲与される

【2015年4月】瀬戸内市内3か所の圃場に苗を定植し、試験栽培を開始

【2015年5月】フェイスブックページ 公開

【2015年12月】WEBサイト 公開

【2016年5月】瀬戸内市立美和幼稚園にて、園児と共にカボチャを栽培しタネ採りまで行う食育を実施

【2017年3月】ジーンバンク事業による試験栽培期間 終了

【2017年4月岡山県農林水産総合センターより、種苗の継続利用(増殖・販売)許可を受ける

【2018年8月】会のオリジナルキャラクター完成

【2019年4月岡山県立瀬戸南高校との連携で、カボチャの活用方法の研究・シフォンケーキ商品化

【2020年5月】瀬戸内市立美和小学校にて3年生と共にカボチャを栽培しタネ採りまで行う授業実施 

【2020年9月種子の選別を実施。以降の栽培は牛窓の生産農家の系統に一本化し、品質を向上させる

【2021年7月】岡山市中央卸売市場の青果卸を通じて、量販店等への本格的な商業出荷がスタート

【2021年8月】レシピサイト bizen-kurokawa.com 公開


スタッフ紹介

<会長> 安達 勇治

 株式会社大町 取締役副社長/瀬戸内市 

<副会長> 清水 佐伯男

岡山県立農業試験場 元職員/瀬戸内市